Tsuji Note

技術的なことや、日々の出来事で記録しておきたいことを載せます

プログラミングおよびプログラミング教育について思うこと

前ふり

プログラミング。

流行っているらしい。

私もコーダー道場に過去3回参加した。
ここは教育機関ではないので、課題はなく、
子供達が自分で作りたいものを作る。
メンターと呼ばれる大人に支援してもらうところ。
メンターも全員ボランティアだ。
CoderDojo 神戸

私がコーダー道場に行く目的は?

子供と遊ぶのが面白いから。
プログラミングが好きだから。

プログラミングが必須科目?

プログラミングが学校で必須科目になるらしい。
でも、国語や算数のように必須科目にするのは違うのではないか?
プログラミングを面白いと思わない人は絶対にいる。
プログラミングに向いていない人は絶対にいる。
むしろ、プログラミングを好きという子供のほうが、めずらしいのではないか?

なのに子供たち全員に教える?
何にのために?

子供の将来のために必要か?

論理的思考力を養うことが大事か?

職業としてのプログラミングの将来

そもそも、プログラミングの仕事っていつまであるか?

そんなこと私にはわからない。

ここ数年で、AI(人工知能)の開発が急激に進んでいるらしい。

論理的思考力でAIに勝てる人など絶対にいない。
論理的思考力を必要とする仕事こそ、AIにとってかわられるべき仕事ではないか?
AIがプログラミングをするのは間違いないことであろう。
特定の分野ではもうやっているのではないか?

人間にはカンというのがある?

AIも思考過程についてはブラックボックスであり、
なぜAIがその結論を導き出したかはわからないらしい。
それって人間のカンと同じではないか?
人間のカンさえ、AIが担当してしまうのではないか?

プログラミング教育を受けている子供達、教えている大人たちに水はかけたくない。
でも、タメになるから、将来のメシのタネになるから、というのは違うのではないか?

私は、AI(人工知能)に関しては勉強不足だ。
間違っていることもあると思う。
また、プログラミング教育の役割を間違って理解しているかもしれない。
でも、いまはそう思う。

消費者として生きる

人にしかできないことは生産者というよりも、消費者として役割のほうではないか?
たとえば、洋服をデザインする、洋服を生産するといのはAIでもできるであろう。
でも、できた洋服を着て、楽しんだり、
「カワイイー」といって、はしゃぐのことこそ人間の役割ではないか?
生産者としての意義よりも、消費者として、いかに楽しむかが人の役割ではないか?
そして、消費者として、消費者主導で、
生産者側に働きかけるのが人の役割ではないか?

人の役割

AIのように電気で動く存在のほうが長持ちするし、丈夫だし、
宇宙への進出もしやすそうだ。
仲間同士で争うこともないし、ましてや仲間どうしで戦争なんかしない。
だから、将来は地球の主役としてのバトンを渡すことになるのかもしれない。

たとえそうなるとしても、
電気ではなく、いのちという資源で動く人間の人間ならではの、役割、おもしろさは、
いのちのある存在として、汗をかき、痛みを感じ、ときに、よろこびを感じ、
一回きりの自分だけの人生をせいいっぱい生きることではないか?

社会の構成要素としてのプログラム

プログラミングというのがどういうものか?
AIはどういう原理で動くのか?
そういうことを知っておくのは、これからの時代を担う子供達が知っておくのは良いことだと思う。

それでも

それでも、
プログラミングができることがエライというこは絶対にない。
プログラミングが苦手なことはぜんぜん恥ずかしいことじゃない。
プログラミングがキライなことはぜんぜん普通のこと。
プログラミングが生きて行くのに必要ということはない。

プログラミングも確かにおもしろい。楽しい。
でも、他にもおもしろいこともいっぱいある。
そんなこと知らなくっても、たのしく過ごせる。

それでも、やっぱり、プログラミンが おもしろい たのしいっていう子がいたら、いっしょにやろう。
いや、ぜひ、いっしょにやらせてとお願いしたい。
子供たち。

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